本に囲まれるということ

幼い頃から、母に連れられて図書館や書店をよく訪れていた記憶が、今でも本に囲まれる場所に行くと、何となくほっとするような感覚を呼び起こす。

大きな本棚に本が並び、静かに並んでいる空間。できれば、静かな空間がいい。

まだ読んだことのない本たちの背表紙を眺めながら、本棚の前をゆっくりと歩き、気になる本を手に取る。ぱらぱらとページを開いて、並んだ文字をざっと見る。

きっとすべての本を読むことはできないけれど、出会うべき本に出会うのだろうと思いながら、うろうろと本棚の間を歩く。

 

私の母は、活字中毒者だったのだと思う。

私の育った小さなアパートの部屋には、およそ似合わない量の本が並んでいた。テレビの部屋にある壁一面を埋める黒い本棚。

発売当初に買ったと聞いた気がする岩波文庫新潮文庫、昭和文学全集、いろんな雑誌、絵本…母の興味を惹いたという理由だけで集められた大量の本たちが秩序なく詰め込まれていた。

中学生ごろから母の本を少しずつ読むようになっていったが、古い文庫本の茶色いページから漂う、甘い香りがたまらなく好きだった。

 

本に囲まれて生活していたので、いつか自分でお金を稼ぐことができたら、思う存分読みたい本を自分で買いたい、所有したいと自然と思っていた。

しかし、就職後の私の生活はただ労働に支配され、ずぶずぶと労働の泥沼に足を突っ込み、気づいた時には自力で抜け出すことが難しくなっていた。

たまの休みに図書館や書店に行く余裕を作ることも難しく、また、比較的転勤の多い職場だったこともあり、本を所有するという行為にも罪悪感を感じるようになっていた。

余裕がないので、本を読むという心の隙間もなく、就職後数年は本をほとんど手に取ることもせずに過ぎていった。

特に長編小説に集中することができなくなり、呆然とした感覚を覚えている。

 

こうなることは分かっていたようなものだが、ついに体を壊して休職後退職して、自由な時間が手に入った時、自然に始めたことの一つが図書館や書店にまた以前のように通うことだった。

古今東西の、時代を超えた人々の言葉の詰まった本が並んだ空間を、ゆっくりと時間を気にすることなく徘徊する。何度も何度も歩いて、本棚の、並んでいる本の位置を覚えていても、本の背表紙を眺めながら歩くことを退屈に感じることはない。

自分のテリトリーを確認する犬のような気分なのかもしれない。

 

失ったものは多いけれど、またこの空間に戻ってくることができてほっとしている。

海辺で本を読む

朝起きて、天気が良い。
今読んでいる本を海辺で読んだら気持ちいいだろうなとふと思い、海へと向かった。
車で1時間ほどで、海に着く。たまに海を眺めに来くるお気に入りの場所。

海辺で読んだ本は『愛しのオクトパス 海の賢者が誘う意識と生命の神秘の世界』

この本は、作者のサイ・モンゴメリーさんが、主にアメリカのニューイングランド水族館のタコたちとの交流する様子が描かれているノンフィクション作品。
タコという生き物がいかに賢く、いかに好奇心旺盛で、そして個性的かということがとても楽しく伝わってくる。
以前に読んだ、宮田珠己さんの「無脊椎水族館」で紹介されていて、興味を持って今回手にとった。

タコは、軟体動物の頭足類という生き物の仲間で、脊柱を持つ人間とは全く異なる進化を遂げてきた生き物の一つ。
無脊椎動物の中でも神経がとても発達していて、腕それぞれが思考をしていたり、腕の吸盤で味覚を認識したりすると考えられているそう。
器用で、記憶力もあって、水族館の水槽の中でタコを退屈させないことが難しいとの記述もあった。
この本の中では、水槽の水の中に腕を入れて、タコにさわってもらう時間を楽しむ姿が描かれているが、全然違う環境で生きている生き物とふれあうことができることはとてもおもしろそうだ。

そして、さらに印象的だったのは孤独な生き物だということ。
自分の縄張りの中で一人で過ごし、他の個体と出会う時間はほとんどない。
生殖も人間とはずいぶん違うし、メスのタコは卵を産んだら、卵のお世話をして、そして一生を終える。
同じ種の群れの中で生きている人間とは、全く異なる生き方は一体どんな感覚なのか不思議だなと思う。

水族館で過ごしているタコだけでなく、野生のタコに会うために、作者はスキューバダイビングの練習をして、メキシコの海へと出かけて行ったりして、とてもバイタリティにあふれている。
私は子どもの頃特に、海の中の世界に憧れていたので、スキューバダイビングをしたかったことを思い出した。

以前一度だけ、磯でタコを見つけて、捕まえたことがある。
野生のタコを見つけた興奮で、反射的に両手で持ち上げたら、8本の足で私の腕へと登ってきた。
その感触に驚いて、必死ではがして、海へと投げ入れてしまった。
一瞬だけふれあったあのタコは、その後どんな人生を送ったのだろう。

海の中に住んでいるタコたちが、今日も楽しく過ごしていることを願う。

世界に広がるカレーの世界

小さな頃、実は、カレーライスがあまり得意ではなかった。

大好きな白いごはん、玉ねぎやじゃがいもやにんじん、そしてお肉。お皿の上すべてがカレー味に支配されている状況がなんとも苦手だった。

 

時間が経ち、大人になって、インド系の方のお店で食べるカレーが大好きになった。

スパイスから作った本場のカレーたちは、なんだか複雑で、バリエーションが豊かで、新たな世界の扉を開らいた感覚があった。

 

そんな折、とても気になる本に出会った。

その名も、『世界のカレー図鑑』 

 

この本では、まずはカレーとは?というところから話が始まる。

 確かに、カレーとは一体何なんだろう。スパイスで煮込んだ料理…?この本では、「多種の香辛料を使用した、米やパン、イモなどの主食と食べるおかず」「カレーパウダーを使った料理」と例外を加えて、カレーの定義としている。

歴史的な動きに動かされ、世界中に広がったインドの方々が、それぞれの場所で、故郷の味を引き継ぎ、進化してきた料理なんだと思うと、次に食べる時はさらに丁寧に味わいたくなる。もちろん、インド系の方々の影響ではなく、独自にスパイスで味付けをする料理を作っている地域もあり、それもまた興味深い。

 

そうして、ページをめくっていくと、続々と世界中のカレーが紹介されていく。世界中の様々なカレーが並ぶ様子からは、カレーという料理の懐の深さが滲み出ている。

カレーはもちろん、副菜や飲み物などのカレーといっしょにテーブルに並ぶ料理、食材や調味料、食文化やその国の歴史についてなどなど、興味深い情報が満載だ。 地球の歩き方というガイドブックの魅力は、情報量の多さとコラムだと常々思っているけれど、やっぱりそうだと改めて感じる。

この本を手に取ったときは、パラパラと眺めるつもりだったけれど、結局舐めるような目つきで隅々までじっくり読んだ。そして、カレーを食べたい気持ちに支配されることになる。

 

今回この本を読んで特に気になったのは中南米地域。青いカリブ海マチュピチュ、そしてパタゴニア。漠然とした憧れを持っている地域だけれど、これまでほとんど接点がなかったこともあり、この地域のことをまずほぼ知らなかった。こんなにもたくさんの国が、そして〜領や海外県なども多くあるんだと目が覚めた感覚があった。スペインなどの国との関わりの中で独自の進化を遂げているであろうカレー料理たちは、一層興味深く映ったのだろう。

とりあえず、トリニダード・トバゴのダブルスが食べたい。

『 ミミズの謎 』

 

 

畑を耕していると、土の中からいろいろな虫や生き物が出て来る。小さな虫たちが、有機物を分解して土を豊かにしてくれているんだと思うと、畑に生息している生き物たちについて知りたくなってくる。

そんな時に出会った本がこの本。これはおもしろそう!!だと、手に取ってみた。

 

暑い夏の日、歩道の上で干からびてしまったたくさんのミミズたち。たまに目にする日本の夏の光景。

この本は、作者の柴田康平さんが、そのようなミミズたちの姿に疑問を感じ、いまだ謎に包まれているミミズの生態を調査した様子が書かれている。

 

読んだ後の正直な感想は、毎日の調査は本当に大変だと思うけれど、それをこの本にまとめるくらいの結論にたどりついてすごいということ。

 ふしぎだと思ったことを、観察して、記録して、原因を探して、さらにわからない部分を調べて…読んでいると、なんとも楽しそうだけれど、毎朝決まった時間に決まった場所を調べることだけでも、ずいぶん大変なことですよねぇ…!その苦労を上回る情熱を保ち続けていることが本当にすてきだと思う。

 

そして、ミミズという生き物はなんともおもしろい生き物だということ。

ミミズは身近な生き物の一つなはずなのに、意外なほどに知っていることが少ないことを実感。

ミミズはゴカイやヒルと同じ環形動物の仲間で、たくさんの体節が連なった細長い体をしていて(これはなんとなく知っている)、成体になると体の中央よりも前側にできる環帯から分泌液を出して、体表をぬるぬるにして皮膚呼吸をしていて、普通はオスとメス両方の生殖器官を持っていて、他個体と交接して受精する。

おまけに、体節の表面には剛毛が生えていて、この剛毛を出したりひっこめたりして進んだり、夜になると巣穴から頭を出したりお散歩をしたり、さらには光るミミズまでいたりと、気になるミミズ情報をたくさん知ることができた。

 

ミミズの種類を同定できるようになるのは難易度が高そうだけれど、少し挑戦してみたいなぁ。

 

 

 

ずっと読み直したかった本を読む


いつか時間ができたら、余裕ができたら、読み直したいと思っていた本がある。

大学時代に受けた授業で紹介された加藤尚武さんの「環境倫理学のすすめ」だ。

 

環境問題等を考える際に、環境倫理学という観点があるということ、そして、環境倫理学では①自然の生存権②世代間倫理③地球全体主義という三つの基本主張を主としていること。

 

この本の大まかな内容を授業で聞いて、興味をひかれ、本を早速購入したものの、哲学や倫理学の知識があまりになかったため、学生時代には内容をあまり理解することができなかった。

だから、いつか時間ができたら、余裕ができたら、哲学や倫理学の知識を学びなおして、この本を読み直して、理解できるようになりたいと漠然と思っていたのだ。

幸か不幸か、時間ができたので、ようやく学びなおしをしながら、この本を読むことができた。

 

幼いころから自然や生き物が好きな立場からすると、この三つの主張は直感的に理解できる気がするが、おそらくそうではない人も多いと思う。特に、自然の生存権については、異なる感覚を持っている人はとても多いように感じる。

人間において考えていた権利を自然物にも拡張するということの背景には、功利主義の考え方がある。功利主義で重要となる快楽と苦痛を感じる能力がある生き物も権利で守られるようにしようとする論理の展開はとても興味深い。

さらに土地倫理や自然主義の歴史、生態学と経済学の関わりについて等、自然と人間社会や経済などがどのような関係として捉えられてきたのかを大まかに知ることができた。

 

しかし、西洋の哲学史の流れをざっと見直してはみたものの、近代や西洋以外の思想についてはほとんどよく分かっていないので、さらに学び、深く理解できるようになりたいものだ。

オポルトの「野生のうたが聞こえる」、ピーター・シンガーの「動物の解放」など、この分野の基本となるであろう本から読んでいきたい。

『 <正義>の生物学 』


「トキやパンダを絶滅から守るべきか。またそれはなぜか。」

 

大学の先生である作者の山田俊弘さんが、生物学の講義の中で学生さんたちに問いかける。そして、この問いに対しての答えを例に、様々な角度から生き物の保全について考えを進めていく。地球上の生物の進化の歴史などのいろいろなデータを基に、現状をわかりやすく説明。最終的な山田先生の答えは、生物を守ることは倫理的に正しいことだから。

 

この本は、生態系保全を学ぶためにおすすめと紹介されていたので、手に取ってみた。生物のとりまく現代の考え方を網羅できるような構成になっていて、分かりやすくおもしろかった。

 

私が大学生活を過ごした農学部では、基本的に「自然は、人間が持続的に利用するために管理すべし」という立場に立っていた。この立場については、理解はしてはいるけれど、どこか納得しきれずにいた。それがなぜなのかを知りたいと思っていた時に、環境倫理学というものを知って、これを理解できれば、広い視野を持って生きていくことができるのではないかと思ったものだ。

 

生態系保全を考える際に倫理学的視点に立つ場合も様々な立場があると思うが、この本で紹介されている「エドワード・ウィルソンの正義」は特に興味深そうだ。人間非中心主義の中でも、生命中心主義では、なぜ動物のみへの配慮にとどまっているのかを知りたい。シンガーやウィルソンの本を読んでみたくなった。 

 

昨日見つけた虹。

彩雲かと思ったけれど、太陽の下に現れる環水平アークという虹みたい。

いくつになっても、なぜ虹を見ると、嬉しくなるのだろう。

なにかいいことがありますように🌠